東日本大震災のこと
東日本大震災について思うこと
まず東北地方太平洋沖地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧と復興をお祈り申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り致します。
私はこの大地震が発生したとき、東京メトロ丸の内線に乗っていました。駅構内に車両が入ろうとしたとき、大きく車両が揺れました。ホームに入りドアが開いたとき、車内アナウンスでホームに早急に下りるように促されました。降りた後も余震が続き、今降りたばかりの車両が大きく揺れているのを見て生きた心地がしませんでした。この日、私はパソコンの講習で講師をしている会場から、徒歩と地下鉄とバスを利用して帰宅する予定でした。いつもはお世話役の人に車で会場に送り迎えしていただいていたのですが、ご厚意にいつまでも甘えていられないということから、公共の交通機関を使って、自分自身で行き帰りしようと決めた最初の日でした。しかもその日はあいにく携帯電話を家に忘れてしまい、家に一人で留守番をしていた家内と連絡が取れず、安否が心配でした。何故なら、長男が新生活を始めるために、一時的に自分の家具を私の家で預かっており、それらの家具を部屋いっぱいにうずたかく積んでいたからなのです。また我が家は新しい耐震設計になる前の木造家屋でしたから、今回の地震で家が崩壊または部屋の中の家具が崩れ落ちるのではないかと咄嗟に思いました。駅の緑電話に100円を投入し、家に電話をかけようとしましたが繋がりません。妻を助けに早く帰らねば、と思い駅員さんに帰る道を尋ねると、駅員さんは丁寧に説明をしてくださいました。JRはすでに動いておらず、唯一の交通手段はタクシーとバスだけでした。空のタクシーを見つけて呼び止めましたが乗車拒否されてしまいました。そこで、次の駅まで道沿いに歩くことにし、駅前のバス停にたどり着きました。そこへバスが来たのですが満員で乗れません。そのバス停には20人ほどが並んでいましたが、私は運転手に上記の事情を説明し、やっとのことで乗せてもらえたのです。並んでいた方々には一礼をしたものの、大変後ろめたい気がし、また黙ってそれを見過ごしてくださった方々に感謝しつつバスに乗り込みました。やがてバスは自宅付近のバス停に近付きました。でも運悪く交通事故が起こっていて、バスは前に進めません。仕方がないので目的の停留所の一つ手前で下車し、走って家に帰ろうとしました。道角を曲がって家の方を見ると家がつぶれている様子はありません。まず良かったと思いました。家についてドアを開けると家内は生きていました。安堵しました。家の中は荷物が散乱していましたが、家内が一つひとつそれらを片付けていました。TVのニュース速報を観ると、仙台では震度7とテロップが流れていました。息子とはなかなか連絡が取れず、大いに心配しましたが、夜遅くになって安否確認ができ、翌朝に無事帰宅しました。でも、帰宅難民の皆さんが電車の無くなったあと、10数キロも歩いて帰宅されたことを思うと、私の体験などは微々たるものでした。また、いまだに避難所で過酷な状況下で暮らしている方々のことを思うと、胸がつぶれる思いです。
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